2012年4月11日水曜日

価値の可視化

どうも、kaz805です。前回からの続きです。


文字は人の気持ちや考えを可視化するためにうまれたと思っています。これは人の為に人が作った。
数字は自然の理を可視化するために作られた。
と私は考えています。
よって、文字は人専用。数字は人を含めた自然界に適用されるものだと思います。
だから、数字は人用に作られたモノではなく人にも応用が利くというものなのでしょう。(体重や身長は自然界の生物として用いられている)
そんな数字にある人は画期的なことを考えだします。それは、モノの価値を可視化するのに利用することです。価値を数字で可視化して、流通がしやすいようにお金が生み出されたとのだと思います。
このことを考えた人は純粋にモノの価値を可視化したかっただけだと思います。
でも、このことにずる賢い人が上手に次のことをあるときこそっと付け加えたのだと思います。
それは、
1)お金自身も価値をつける。
2)人にも価値をつける。
という二点です。
この二つが浸透するまでにはかなりの年数がかかったと思いますが、現在の社会では当然のこととして認識されています。
最初に数字は自然の理を可視化するために作られたと書きました。これは言い換えれば数値化できるものは自然界にしかないということです。
でも、お金に価値をつけるとお金を可視化することになります。これは、本来は自然界にないお金が自然界にあるかのような振る舞いをすることを可能します。お金は利子というかたちで自分を増殖することを可能にしたのです。まるで生き物のように増えることが出来るようになったのです。でも、もともと自然界にはないものですから、「死」がありません。だからほって置くとどんどん増殖することになります。
たまに恐慌とかが起きてすごいインフレになってしまうのはある意味バランスをとるためなのかもしれません。
このように生き物のように増殖させることでお金を儲けることができるようになった訳です。ずる賢い人の末裔の人たちはきっとお金持ちになったと思います。
さらに、ずる賢い人たちは人にも価値をつけました。本来は、食べ物や服などを交流しやすいように価値という可視化を数字を利用しただけでした。
しかし、お金を増やすことで儲けたずる賢いひとたちは更にお金を儲けることと自分たちが物事を決めやすくするために支配力を強化しようと考えたのだと思います。
そんなタイミングで産業革命が起きたのだと思います。もしかしたら、起こしたのかもしれません。
産業革命によってモノがたくさん作れるようになりました。それによりどうなったか?モノが増えました。モノが増え価格がさがり、多くの人が購入しやすくなったと習ったと思います。でも、先ほど書いた通りお金が増殖することを考えるとそのお金を使う機会を増やさないとお金の行き場がなくなります。だからモノを増やして売りつづける世界になったのではないでしょうか?だから今の世界は成長をしないと維持できない状態になってしまったのではないでしょうか?
おっと、人に価値をつけたことの話からちょっと脱線してしまったので、話を産業革命のところに戻します。産業革命によって、仕事を失う人がでてきます。そういう人も生活をしなければならいのですが、その人たちが作っていたモノは工場で作っています。その人は交換できる価値創造の力を失った状態となってしまいました。このときにづる賢い人は、このような価値創造力を失った人に労働力という名の価値を与えてあげて働いた報酬としてお金を与えることを考えたのでないでしょうか。これにより人は労働力というなの価値をつけられたのです。この価値はお金としか結びつかない価値なのです。お金は増殖します。持っている人は増えた分を支払えばいいのです。規模が大きくなれば生み出されるお金も増えます。
しかし、労働力という価値をつけら多人はその価値を大きく増加させることはできません。なぜならこの価値は支払う人が価値をつける者だからです。
これにより、お金に価値をつけた人はそれによりお金を増やし、さらにその力で人までもお金に換算してしまう世界を実現させたのです。
これにより労働者と呼ばれることとなった人はひとに命令されてたことで報酬を得て生活することとなり、お金を持った人に従うことになってしまったのです。
長くなったのでこの続きはまたいつかね。ふぅ〜疲れた。(最後ちょっとだらだらでごめんなさい)

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