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2013年9月22日日曜日

個人でできるようになったこといろいろ(前編)

どうも、kaz805です。
秋もちょっとづつ感じられるような空気になってきましたね。彼岸花がさいているのをみたらさすがに秋だなと思った今日この頃です。
さて、秋も深まるといろんなことを考えてしまいます。
それで、いろんな人もいろんなところで書いたり話してたりしていることですが、私もいろいろ感じてきたので書いた見たいと思います。

前置きが長くなりましたが、21世紀もお試し期間が終わって本格化してきたこともあり、個人でできることがすごーく増えたと思います。
ほんとはこれじゃない絵を用意していたけど見つからない・・・


まず、一番おおきな変化は個人の発信力が驚異的に強くなったこと。
これは、インターネットの発達によるものです。
告知はSNSとかで告知してしまえばそれなりに拡散できますし、いったん人気がでたらその告知力はかなりの威力になります。

この情報の拡散力により
文章を書く人
絵を描く人
音楽を奏でる人
歌を歌う人
映像作品を作っている人

っている人はかなり自由にかつ簡単に自分の作品を外部に発信できるようになりました。
これって、20世紀までは
作家先生とかアーティストとか呼ばれていた特殊能力?と運?がある人、属にいう、持っている人みたいな人しかできなかったことです。それが普通に好きだからということだけで発信できるようになったのですから21世紀ってすごいですよね。
だからチョー天才とかしかお金が稼げない時代がくるとかいろんな人がちかごろ話してますよね。

絵も音楽も技術革新によっていままでとは違う手法で作れるようになったことも要因の一つであるでしょうね。

だからコンピュータとインターネットが個人にすごい力を与えた(与えたっていう表現も変ですけど)という状況になっています。

だからいままでの歴史の中で見てもものすごく「個人」という存在が力をもった時代だと思います。

そもそも「個人」なんていう存在がものすごくいろんなことが自由にできるってこと時代がなかったと思います。

一部の個人、属にいう英雄とか皇帝とか政治家とか一人の力で世界を変えたみたいなことがありますが、そういう特別な個人ではな「普通の個人」がいろんなことができる時代が21世紀のような気がします。

さらにモバイルという技術がこのコンピュータとインターネットをさらに新しいステージに引き上げました。

人はある程度の通信環境を確保できたらならば、いつでも、どこでも、だれとでも連絡ができるし、情報を入手・発信することができました。
これって少し前のSFの世界かファンタジーな魔法の世界です。
すごい科学は魔法にしかみえないと、高名なSF作家さんの言葉がありますが、まさにそんな感じですよね。

さらにタブレット端末なるものができて、文章を書く人や絵を描く人はデジタルで自分の本や画集をだすことが容易にできるようにもなりました。

音楽を作っている人は自分の作品を多くの人に聞いてもらう場もたくさんできました。

そして、多分ですが、これからの人は静止している画像だけではきっと満足できないのだと思います。特にキャラクター(人もロボットやモンスターとかね)
動くことを想像することで楽しむというよりは、それは既に動かせるものなのでしょう。
だから動いて当然という世界に移行していくと思います。

いつもにも増して冗長てきな文になってきたので、今回の話をまとめると、
コンピュータとインターネットとモバイル技術がいままで小説家やアーティストになるためにあった大きな壁を破壊した。
これにより普通の個人がアーティスティックな活動を容易に行えるようになった。
これが21世紀なのね〜
ということでしょうか?

次回は、アーティストや文学てきなものだけじゃなくてもっといろんなものの垣根がさがっている話を書こう思います。



2013年8月25日日曜日

酒離れから考える嗜好品離れ

どうも、kaz805です。
近頃というか5、6年前から(ほんとは10年くらい前からかも)若者の酒離れということをよく聞きます。

酒にもいろいろあるけれど・・・


でも、テレビを見ると(あんまりみないど)ビールのCMは結構な頻度で放映されいますし、発泡酒や第三のビールが売れてますとか、今年だとビアガーデンが人気ですとかとも聞きます。
たぶん、酒離れというのは、ビールやそれらに近しいもののことではなく、たぶん、ブランデーとかウイスキーとか日本酒の話なのかと思います。
このごろとかだとワインも若い人はあんまり飲まないという話もお店の人からよく聞きます。
ということで酒離れひとくくりにされますが、細かく見ていくと

酒離れの進行が激しいのは
ブランデー、ウイスキー、コニャック、ワイン、日本酒
酒離れという全体の中では減っているけど酒類の中ではまだ成長が期待される
ビール系
というような分類ができるような気がします。

あと、タバコ離れも進んでいると思われます。
こちらも新規の喫煙者が少ないのと現行すっている人もやめているのでダブルパンチでしょう。

それに高級洋服というとかっこわるいのでオートクチュールのようなものなど絶滅危惧種な状態だと思います。

さて、これらはちょっと前なら嗜好品とよばれる高級なものとして分類されていたたぐいのものです。

これらにたいして近頃起きたことは、
・量産が可能となって安くつくれるようになった。
・健康によくないと言われるようになった。
・貴重な動物の毛とかを使うと乱獲とか地球にやさしくないとかいわれるようになった。

ということで、全部当てはまる訳ではないですが、どれもが二個位は当てはまってしまうと思います。

このようなことに対して生き残っているものは嗜好品から日常品に進化できたものだとおもいます。
そして、権威とから距離をとれたものが生き残っているような気がします。

酒ならビールは嗜好品から日常に上手に入り込めた。
洋服はカジュアルという感じで権威とから距離をおくことができた。
たばこはたぶん、税収の関係でどうしても違う意味で権威から距離をおくことができなかった。だから生き残りが難しくなっているような気がします。

たぶん、いまの時代はカジュアルな時代なんだとおもいます。
バーよりもバル、レストランよりもカフェ、ブランドの洋服よりファストファッッションというよな感でよりお手軽なものが生き残る時代なんだと思います。
そして、これからはカジュアルだけど流行とかに左右されないものが支持されるようなきがします。ファストファッションはだからファッションの世界の徒花てきなもののような気がします。

ビールは気軽に飲めて、健康にも気を使って、税金からも逃れ、生き残るために自らの居場所をとどまることなく移動したからこそ、なんとか生き残っているのでしょう。

格式高い高級で権威がある世界から気軽でカジュアルな世界に変わってきています。
これはきっと集団の規模がどんどん小さくなってきたからだと思います。

個人の力が強くなったから、集団の規模が小さくなったから高級なものを身につけ集団の中で権威があることを示さなくてもそのような場所にいなくてもよくなった。かといってお金持ちはお金持ちだし身分が高い人はこれからも高いと思います。こんな人たちも個人の時代ではカジュアルなのだと思います。でも、このような人は美味しいものも食べるし飲むし着るものもよい素材のもので自分のサイズに本当にあったものも着るのだと思います。カジュアルにいいものを〜

たぶん、それぞれのレイヤーにあったカジュアルでいいものを選ぶ時代になっていくのではないかと思います。

そんなことを考えるとスーツや時計、自動車もいまのままだと生き残れないかもしれません。カメラにもそんな風が吹き始めているようなきもします。
あれ?これって日本の基盤産業じゃん?あれ、あれれ・・・

では、また!!




2013年8月21日水曜日

週末だけのスーパー素人シェフの時代がくる?

どうもkaz805です。
さて、この間、「高級レストランからレンタルキッチンでの食事会への移行があるかもしれない」みたいなことを書きました。
今回はこのつづきを書いてみようと思います。

週末素人シェフのイメージ
少し遠いところからこの話をしてみようと思います。

時代は「個人の時代」といわれています。個人が力をもって時代をつくっていくと。
そして、高城剛氏もご自身の著書でハイブリッドな仕事を提唱していました。
これは、個人が一つの仕事だけをするのではなく、二つ以上の仕事をしていくことがこの大きな変動な時代には適していると。
岡田斗司夫氏もインターネットにより個人の気持ちがとても重要な時代になり、国家のような大きな集団ではなく、小さな集団での小さな経済圏・生活圏がつくられる時代がくると。
そして、岡田斗司夫氏はネットにより一流の絵や音楽の世界ではプロ生活できない時代が来る。数多くのアマチュアがいる時代。アマチュアはもうけることより、自分が作品をつくることがうれしいから無償でもつくる。そんな人が多くいれば、多くの人はそれで満足する。ただだから。
だから、ファンがすきな作家をお金を出して支えることを提唱している。

とだいぶ、遠回りをしましたが、ハイブリットな働き方の一つとして料理を作ることと自分が好きな料理を格安につくってくれる人として認識され、その人が純粋に料理をつくることがすきならば、週末だけの素人料理人という存在が誕生してもおかしくないと思います。
そして、その人の腕がすごくよくて、美味しくて、ネットでその情報が拡散すれば、その人のレシピは評判になると思うし食べたいと思う人もたくさんでてくることでしょう。
そういうひとのなからスーパー素人料理人が誕生し、その人はレシピ本を出したり、もしかするとお店をもってしまったりすることになるかもしれません。

これは、SoundCloudや初音ミクから音楽で食べられる人がでてきたりすることと同じことだと思います。

音楽や絵はネットでの拡散で満足できるでしょうし、ライブや個展を開くのは金銭的にそれなりに大変でしょうが、10人程度の知り合いのために料理を作ることは、すこし大きなお家の人が場所を貸してくれたりしたら出来るので、実際に料理が食べられます。
音楽や絵と違って料理はデジタルだけでは満足できません。やはり食べてなんぼです。

だから、音楽や絵で有名になるよりも規模はかなり小さいですが、本当にすこしだけのファンがつけばお小遣いは稼げるくらいの食事会ができるかもしれません。

個人の力が強くなり、生活する圏が小さくなることで、プロとしては生きられないけど、その小さな圏のなかではとてもその能力が必要である、そんな世界がもしかすると近い将来というか意外にはやくやってくるのかもしれません。

その中に週末だけの素人料理人という存在も全く可能性がないわけではないと思います。
逆に、プロが週末だけ個人的に食事会とか開くかもしれません。

これは、コミケで素人もプロも同じ場所で販売しているのと同じ感じのことなのでしょう。

プロとアマの境界線が曖昧になってしまった世界での食事会はすごいレベルのものから家庭料理レベルまでいろいろあるのかもしれません。

というわけで、最後は週末だけの素人シェフというよりはプロもアマもお店以外で料理を振る舞うことになるかもしれないという感じの話になってしまいました。

では、またね〜

2013年8月18日日曜日

高級レストランからレンタルキッチンへ

どうも、kaz805です。

あくまでも高級レストランのイメージです。
今月は、いろいろと食事に出かけていますが、俗にいう「高級レストラン」っていうもののこれからについていろいろと考えてしまいました。

なにを考えたかっていうとこれからこういうお店が存在していくことが可能なのか?ということです。

食の頂点たるお店が消える分けないと思うでしょう。そりゃそうだと思います。でもね、私が感じたのは都会の真ん中にある高級レストランです。

オーベルジュみたいに地産地消な感じで近場でとれたそれもよい食材をつかって、料理人のすべての技術を使ってつくる料理っていうのはこれからもはやると思います。いや、これかはもっと流行ると思います。

では、なぜ、都市部の高級レストランが流行らないかというと、若い人の価値観と合っていないような気がしたからです。
現にあんまり若い人を敷居の高いレストランであまり見かけないような気がする。(あくまでも私の知りうる限りです。)

じゃあどういうスタイルが受け入れられていくかというと、レンタルスペースに大きなキッチンがあるようなレンタルキッチンが流行るような気がします。
10人くらいの規模での食事会をレンタルキッチンで行うというスタイルが流行ると思うのです。
なぜかというと、この方が今の若い人の価値観に合っているような気がするからです。
(若い人というよりはもしかすると時代としてかもしれません)

理由は
1)コストが安い
2)気のあった仲間と気軽に食事ができる。
3)料理器具の向上、インターネットにより料理レシピの情報や食材そのものの調達が容易になったこと。
4)スーパー素人

まず、
1)ですが、これは外で食べるよりつくった方が安いのは確かでしょう。持ち寄りでワインを用意して料理も手作り。これは外で食べるよりかなり安上がりだと思います。

2)ちかごろはフォーマルよりもカジュアルがこのまれる時代だと感じています。
敷居がたかいところでジャケット着てたべるのもいいと私は思いますが、気軽にわいがやで美味しいものをたべることのほうが受ける時代だと感じます。

3)技術の進化は調理器具も進化しています。これにより面倒な料理も昔に比べればかなり作りやすくなっている料理もあるでしょう。これはこれからもどんどん進化していくと思います。あと、インターネットの発達でいろんなレシピも容易に手に入るし、さらにとっても美味しい食材も手に入りやすくなっている時代です。食材がよければそれだけでそれなにり美味しく食べられるでしょうし、それに最新の調理器を使えばさらに美味しくつくれるかもしれません。

4)3)の事象によってことによってすごく料理がうまいプロじゃない人がいまよりももっと増えるかもしれません。
絵や音楽はすでに素人とプロの垣根がだいぶ曖昧にあってるところもあるように料理人のプロとの垣根が曖昧になっていくのかもしれません。
それに音楽や絵はネットで発信することで拡散させることが主目的なところがあると思いますが、ネットで発信するよりライブで楽しむことがもっと重要だと思います。やはり料理はたべてなんぼですからね。
それに一人で美味しい料理をつくってたべるより、美味しいといって食べてくれる人に料理を作る方がこういう人にはうれしいはずですし。

というような理由からレンタルキッチンで食事会っていうスタイルが流行っていくような気がします。知り合いがつくる料理でどんな食材で料理をしているかもよくわかるなら安心感もあるでしょうし。

手頃な価格のレンタルキッチンが都内にそれなりの数ができたら、ある時点から結構、こういったスタイルが増えるような気がします。

たぶん、たくさんの人が入れるようなスペースがない人でもこれらの場所を使うことで10人規模程度の食事会が出来るようになるのです。お店と違って招くのは知り合いだけだからつくる方も食べる方も気楽でしょう、きっと。


ということで音楽やアートのように料理の世界ですごーくもうけられるのは一握りの天才だけかもしれないという時代がくるかもしれません。もしくはビジネスとして世界規模で展開しているものが都市では生き残るかもしれません。おっと、これは都市部の高級店の話です。

これからは、週末はレンタルキッチンで食事会。外で食べるときは郊外もしくは海外のオーベルジュでの食事が外食という認識になるのかもしれません。

すごーく綺麗な孤島でそのでしか食べられない食材を料理人がその料理技術の粋をつかってつくる料理。そしてそれを絶景の景色で食べることが外食と呼ばれるかもしれませんね。

では!

おまけ>
実は珍しくこのブログはネットがつながるカフェで書いていました。でも、途中でネットの接続が切れて書いていた文章が保存されてなくて、書き直しになってしまいました。
なれないところでなれないことをしたからかな・・・
最初に書いたときの方が上手にまとまっていたような気がするのは消えてしまったものへの未練がすごーく残っているからだと思います。
確かにカフェとかで書くといい感じで書けるような気がします。お家だと気分転換できるものが多すぎますからね!


2013年7月15日月曜日

写真が普及した後のアートについて思うこと

どうも、kaz805です。
唐突ですが、私が住んでいる周りには結構な数のギャラリーがあります。たぶん、半径300メートル内に4つはあると思います。

私、やんでません。今回のテーマをイラストにしただけですよ

そんなこともあるし自分でも絵(というかキャラクターですね私の場合は)を描くのでギャラリーや美術館で世に言う芸術作品を結構みます。
ヨーロッパの作品はルネサンスとかバロックとかが好きです。
神話の世界や聖書の世界を描いた作品が好きです。
でも、写真が普及してからのアートはあんまり好きではありません。
なぜかとうとここぐらいから写真では撮れないようなものを搔き出しているからです。
別に写真で撮れないものを描くのはそんな毛嫌いすることではありません。先ほど描きましたが神話とかの世界なんて空想世界ですからね。
では、なにが好きではないかというと
大抵は、人の心の奥底にある不安や恐怖、怒り、悲しみとかいうネガティブな感じのものを描いているものが多いからです。
そして今風なコンテンポラリーアート(今風のコンテンポラリーアートって変な言葉ですが・・・)はエログロでこれまた好きではありません。
なぜ?おどろおどろしい世界を題材にする人が多いのか?でも、それらを名作だとたたえるひともたくさんいるからでしょう。
人の内面っていってももっときれいで美しいところもあるでしょうに。
なぜ?そちらにアプローチする人がすくないのでしょうか?
私は社会人になってから西洋美術史を習っているとき、コンテンポラリーアートっていうのは第一印象で好きか嫌いか判断していいと習いました。なぜなら、人の心に直接訴えかける作品であるから直感で判断していいという感じのことを教えてくれたと私は思っています。
それからは結構気楽にみています。
でっ、やはり思うのです。やはり多くの作品は暗い。あんまり明るくてきれいな雰囲気がするものはすくない。純粋であってもそれは残酷である感じであったりしてなぜか?暗い。
見る人がそんな世界を望んでいるからなのか?
私は綺麗で美しい作品がみたいです。
私が少数派なんでしょうか?
牛の輪切りなんてあんまり興味ないしダイヤのドクロも海賊が残した宝物なら興味はありますが、それをアート作品としてつくったのならあんまり興味はありません。
女子高生が残酷な状態になった絵よりまだ初音ミクのほうが興味があります。こちらの世界の方が明るくて楽しそうです。
社会問題をテーマにしたアートもあります。
問題を浮き彫りにすることやそれを訴えかける創作物があることは否定しないしそういう表現で深刻な問題を訴えたいという人をすごいと思います。
でも、作った作品をアート作品としてどうのこうのっていうのほどうなんでしょうか?と思います。世の中の業を表現したものをお家に飾れるほど私は強くはありませんから。

という訳で、私はみるなら楽しくて綺麗な作品がこれからたくさん世にでてくることをいいな〜と思います。

でも、ほんとなぜ?おどろおどろしいに人は魅せられるのでしょうかね?この世はふしぎなことが多いです。ほんとうに。

では!

2013年6月6日木曜日

WWDCで発表されたらいいな〜と思うこと

来週の6月10日からWWDCというAppleの開発者向けの会議が開催されるということで世の中のApple好きな人はいろいろ盛り上がっているようです。
新しいMacがお披露目されるとかiPhoneの5Sが発表されるとかiPhoneの劣化版が発表されるかもしれないとかいろいろ予想もされています。
とうことで私もこのどさくさにまぎれて発表されるものを予想したいと思います。
わたしの場合は予想というより願望のほうが強いですけどね。
さて、私の予想はこれ!
「プログラムなしでアプリがつくれる!」っていうソフトというか環境の提供です。

なんとなくイメージ
その昔(といってもいまもあると思うけど)QuartzComposer(クォーツコンポーザー)ていうMacOSXの開発ツールがありました。
これはスタックとよばれるカードみたいなものをつないでいくだけでリアルタイムモーショングラフィックが作成できるとってもすごい開発ツールでした。

私としてはこれが進化して普通のアプリもプログラミングじゃなくてこのスタックっていうのをつないでいくだけでアプリができる!っていうツールを発表してくれるんじゃないかな〜と思っています。

だって、Apple社っていうのは創作することに力を貸してくれる会社だと私は思っています。
確かにiPhoneとかはすごく便利でかっこいい道具だけどApp Storeっていうのは販売する場でもあるけど作ったものを発表する場でもあると思うのです。
ちょっと前にも電子書籍を簡単につくれるiBooksAuthorとかいうソフトも提供してれました。

そんなAppleがQuartzComposerのような優れたソフトをこのまま埋もれるようなことはしないと思うのです。
スタックをつなげて設定をかえていくというスタイルならiPadをつかってアプリができると思います。

ほしいアプリを自らつくって利用する。そんな世界に私たちを連れていいくだけのパワーがApple社にはあると思います。

作るのがたのしい!それが簡単につくれる!子供でもルールを覚えればアプリが作れる!そんな開発ツールを発表してくれるのではないかと私は密かに予想しています。

当たったらうれしいな〜

では!

ちなみにQuartzComposerとは
http://ja.wikipedia.org/wiki/Quartz_Composer
という感じのものですよ〜

2013年5月26日日曜日

デジタルパレットってあったら便利じゃない?

どうも、kaz805です。
この数日、iPadっで落書きをいろいろしていました。
例えばこんなのですが↓

adobe ideas で描いた

ほかにもいろいろ落書きをして楽しんでいたのですが、iPadで絵を描くときに面倒なのが色を選ぶこと。高性能なアプリになればなるほどいろんな色やブラシの機能が豊富なため、いちいち色を変えるのに色のメニューを呼び出して選ばないと行けない。これは面倒くさい。

そこで私、ひらめいちゃいました!
こういうデバイスがあったら便利じゃないかと、それは『デジタルパレット』!!

デジタルパレット!
大きさは幅12cmくらいで幅は2cmくらい。まさしく12cm定規くらいの大きさ。この装置とiPadとセットで使う感じ。
このパレットにいろんな色を記憶させておいて、タブレット用のペンでここに表示されている色をタッチしてiPadにもどればその色で描ける(塗れる)
UIはまだ考えていないけどブラシの大きさや形状もここで選べるようにしたら、作業がはかどるのではないかと思った訳です。
つい最近、Adobeがタブレット用のペンと一緒にデジタル定規を作っているって話がWebにでていたけど、その定規にこのパレット機能もつけてくらたらいいのにな〜と思ったのですが、冷静に考えるとこんなのデバイスなくてもiPhoneがパレットになってくれたらいいんじゃない!っと思いました。
image
おそらく、iPad持っている人はiPhoneも持っているような気がします。
ってことはiPadで絵を描くときにiPhoneがパレットとかブラシ用のサブ画面になってくれてiPadとiPhoneが連動して動くアプリがあればとっても絵を描くときに便利ではないかと思うのです!!

これって結構いいアイディアだと思うのですがどうでしょう!
賛同する人、作れる人は連絡くださいね〜

では!

2013年3月9日土曜日

「ライブな感じ」について

どうも、kaz805です。
今日は、ライブな感じについて書いてみたいと思います。

イラストと文章はあんまり関係ないかも
その昔、テレビよりリアルの方が楽しくなるからテレビは衰退するんじゃないと行っていた人がいました。当時、通話料が安くなって特定のひとなら無料ではなせる時間帯があって、その時間帯は電話回線をつなぎっぱなしな状態がはやっていた時代です。
そんなことが書いてあった本はこれです。

2006年の本ですね
人って常に情報を早く手に入れようとしてきた歴史があると思います。
すごーい昔は身分の高い人とかしか確かな情報を手に入れることができなかったと思います。世界で何が起きているかとみたいな今でいうとニュースみたいなことも伝播していくのにも時間がかなりかかったんだと思います。

でも19世紀の終わりぐらいから電気と電波ってものを人が使うようになりました。
これにより、情報の伝達が急速に早くなりました。
ラジオとか映画とかテレビとかが登場してきていままでとは比べ物にならないくらいの情報を人々は結構なスピードで知ることができるようになりました。事件も人から人への口伝えではなくまさにライブ映像、もしくはライブ映像に近いもので人々が知ることができました。これをライブな感じ初期と定義してみます。

映像・音声を伝える装置たち
でも、これらは結構な規模の装置と人員がいないと維持できない代物でした。
このような電波を利用した情報伝達は国家や大企業とかしか自由につかえるものではなかったので、一般の人は受ける側で発信できるようものではありませんでした。
よって初期のライブな感じは一部の情報発信とたくさんの情報受給者がいたって感じな環境です。

さて、技術は進歩して電波を受信する機械が小型になり、そして有線から無線に変化しました。無線は情報の送受信をどこでもできるようにしました。

もう一つの技術の進化はコンピュータという機械を生み出しました。こちらは計算ができ、音声、絵も自由に扱える機械でいろんなことに使える不思議な機械です。

さらにもう一つインターネットっていう技術も生まれました。こちらは情報通信網で、絶えず情報が流れる川のようなものです。いままで情報が流れている場所なんてありませんでした。それにこの川に情報をながせるのはここにつなげる人ならだれでもできるある意味すごい空間です。

この三つが一つになってきたときに情報の発信者が急激に増加しました。
これによりライブな感じは第二ステージに進化しました。これをライブな感じステージ2と定義します。

ライブな感じステージ2は携帯電話とパソコンの二本立てで進化していましたが、スマートフォンとかタブレット端末というような機器により統合されました。

人々はまさにこれらの端末で身近な人ことや世界でおきていることをライブでしることができるようになりました。
紙とか口伝えでひろがっていた情報がライブで伝わる時代になったのです。

さて、前置きが長くなった(えっ前置きなの?)ので本当に書きたかったことを簡潔にかこうかと思います。

最初に紹介した本の話にもどりますが、この本は2006年の本ですが、身近な人々と簡単につながることができるとその世界の方が楽しくなり、その世界のほうがテレビより熱狂できるようになると。「まさに現実は小説より奇なり」って感じで人々は身近な人たちのライブな感じをしり、共有して、楽しむだろうってことが書いてありました。まさに今の世界はTwitterとかFacebookとかLineとかでライブでつながり、ライブで他人の行動をしり楽しんでいます。いろんなサービスは増えましたが本に書いてあった本質はその通りになっていると思います。未来が見える人はみえるんだな〜と思います。

あと、このライブな感じを肌で感じてそれをビジネスにしたのがAKB48だと思います。
テレビの人がライブな感じをたぶん直感して(たぶん考えた結果じゃないと思う)これからはライブな感じがじゃない〜っておもって作り出したビジネスモデルがAKB48なんだろうなって思ったのが今回書きたかったことです。

新しい世界が見える人、それに合わせたビジネスを始める人、ただその世界を楽しむ人、見えても行動しない人といろんな人がいるけれど、見えていても何がしたいとか考えたり行動しないとなにかができる訳じゃないだな〜ってことなんとなく思ってかいてしまいました。

あ〜だらだら書いちゃいました。ながながと書いてこんな結論でごめんなさいね。
では!



2013年3月7日木曜日

日本の伝統文化を伝えたいというようなことをよく聞くの

うふふ、お久しぶりね、アンジェラ・ウフです。
近頃、熊美と茄子美ばかりで私の出番がかなり減った気がするわ。あの漫才コンビがワイン談義ばかりして。ちょっと出過ぎよね。まぁいけどね。

久々登場 アンジェラ・ウフ女史

さて、近頃、「日本の伝統文化を広げていきたい!」とか「日本の伝統工芸を広げたい」とかいうことをよく聞くのよね。
フランス生まれで日本好きな卵のわたしとしては純粋にいいことだと思うわ。
でね、私が見ている感じでは
1)日本の伝統文化・工芸品でもうけるぜ
2)私は日本の文化や工芸品を応援したい
って二つが主流なかんじ。
その他に
3)純粋に日本の古いよいものを残していきたい。
というのもあるようね。
でも、いまいち気持ちが純粋すぎて融通がきない感じで勢力がちょっと弱いかも。
そして、かたくなに古いものがいいっていうのもどうだかなって気がするのよね。
だって、時代は変化していくならガチガチに古いままって無理があると思うのよね。
だから、古くからあるものを今風にアレンジしていくことが本当に今に伝えていくってことだと思うのよね。本質は伝えるって感じ。
変化するから長く生きれると思うのよね。カップヌードルとかも微妙に変わっていないようでかわっているみたいだからそれと同じ気がするわ。

あと、個人的にはモノだけじゃなくて日本の古いスタイルを今風にアレンジして過ごすとかの活動もあるといいと思うの。

例えば、昔はいろんな行事っていうか儀式がいろいろあったわけよね。節分には何するとか立春には何するとか。
そういうのを全部やるってうのもナンセンスだから、なにかそこからたのしくアレンジできることをピックアップしてイベントにしてみるっていうのが面白いと思うの。
これだとモノを買うっていう行動じゃなくても日本の伝統をある意味守っていくとか伝えていくってことにそれなにり貢献するような気がするのよね。

消費ばかりが日本の伝統を守る手段じゃないと思うし日本の心っていうのは古きを新しくして伝えていくってことでいいんじゃないかなっとフランス生まれの卵は思うわ。

あと、応援するっていうのもいいことだと思うけど人がやることを応援するより自分でなにかするほうが楽しいと思うわ。
応援される方もあんまり応援されるとこまっちゃうと思うし。
フランス人なら応援するより自分で何かするとおもうわ。

と、久々にだらだら語っちゃったわ。これはきっと近頃、出番がなかったからよ、きっと。
では、またね。うふふ。



2013年2月6日水曜日

私があったらいいなと思っている鞄

どうも、kaz805です。
今、私はこんな鞄があればいいのにと思っています。
基本的にはバックパックというかリュックです。

あくまでもイメージ
どんな鞄かというと

こんな機能が欲しい

1)PCかタブレットが入るクッション付きの格納スペースがある。
2)お弁当箱がはいるゾーンが確保されていること
この二つは必須です。
まず、お弁当箱いれですが、一番望ましいのはこの鞄専用のお弁当箱が付いてくることです。弁当箱は基本セット弁当箱大、弁当箱小、スープポットの三点が基本。オプションで大きい四角箱形弁当箱(お重みたいなやつ)に入れ替えられたりするとうれしいです。
あと、夏はひえひえパックみたいなものを格納できるスペースがあります。
それともちろん、液漏れしない加工がしてあり、中身が万が一漏れていても服がよごれない仕様です!

お弁当格納スペースイメージ

次にPC、タブレット入れですが、これはよくある、対ショック用のクッションがあるポケットに13インチくらいのPCかタブレットが入って、電源とかを格納できるポケットがある感じ。

よくあるPC入れがあればいい

そして、パソコン以外にもいろいろ格納できる幅がある鞄本体。
横にはメッシュのポケットがあって水筒とかペットボトルが格納できます。
あと外に大きめのポケットがってここにお財布とか小物が入れられる感じです。

なんか最近しったのですが、日本以外の国にはお弁当というものがないとのこと。
だから、いままで鞄にお弁当が入る専用スペースがなかったのではないかと思ったのです。
だから本気でお弁当を格納できる鞄があれば隠れた人気商品になるのではないかな〜と思います。
あと、弁当箱も本気で鞄に格納できる弁当箱を設計することで新しい可能性が見えてくる気がします。これは何となくですが・・・・

ITとお弁当箱。これからの時代の必須アイテムだと思います。
だから、この二つが安心に格納できる鞄がいま、まさに今必要なんだと思います!!

どこかのだれかさん、作りませんか?ヒットすると思いますよ〜
では!!


2013年1月28日月曜日

個人の時代?

どうも、kaz805です。
今日は近頃ちょくちょく目にする個人の時代について書いてみたいと思います。
私の情報が偏っているかもしれないのですが(たぶんそれはあると思う)近頃以下のような文面をよく見かけます。

特にこの絵に意味はなし

・大衆の時代が終わって個人の時代が始まる。
・21世紀は個人の時代である。
・ネットの発達によってマスがなくなる。

とうようなことをよく目にします。

私なりに分析してみるとまず、注目すべきは大衆(マス)の時代が終わるということです。マスから個人へという流れがあるということなのでしょう。

では、なぜマス(大衆)の時代が終焉しようとしているのでしょうか?
どうやらそれにはネットワークの発達が関係ありのようです。
なぜ、ネットワークの発達によってマスが衰えてしまうのでしょうか?
どうやらここでいうネットワークにはインターネットという情報のネットワークと格安航空会社(LCC)などによって移動がとても低コストでできるようになったことが理由として考えられるようです。

インターネットの発達によって個人でもかなりの情報をかなり容易に手に入れることができるようになりました。いままではテレビや新聞などのマスメディアからしか手に入れることが困難な情報もかなりお手軽に手に入れられるようになりました。
手に入れられる情報も増えましたが、情報を発信する存在もすごく増えました。
これにより、自分が必要な情報、自分が知りたいと思う情報、自分がすきな情報だけを入手することができるようになりました。

これにより多くの人が同じ情報を共有するということがしづらくなったという状況が生じるようになった。これがマスが弱まる一因と考えられます。

さらに、移動が容易になったことでいろんなところに行こうと思えばかなりどこでも行けるようになりました。これがいままで組織力と資金力のあるマスメディアではないと手に入れることができなかった異国の情報も個人で入手することができるようになりました。
この情報がインターネットを使ってすぐに拡散することができるようになるともう収集が付かない状態です。
そう、情報が過大になってしまってコントロールすることができない状態が始まろうとしているのではないかと思います。

情報が過大で移動が容易でどこでも行ける時代になると行動力があるひとはどこにでも出かけることができます。そして、移動した場所の情報をネットで入手してそこでしばし滞在しもしかしたら働くことになるかもしれません。こんなことを繰り返しているとどこかに定住しているとはいえない世界人ともいえる人が生まれてくるかもしれません。
そんな人は企業や国というものに縛られない人ともいえると思います。

ということから個人の時代が来るということなのでしょう。

でも、個人の時代って聞こえはいいですが、ほんとうにすてきな時代なのでしょうか?
これについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。
(ただここまで書いて疲れたというのが本音です。)

では!




2013年1月14日月曜日

私が実現できたらいいな〜とおもっていること

どうも、kaz805です。
久々にテレビをつけていたらAKB48のシノマリ嬢が「実現させたいことは言葉にしないとね」みたいなことをいってみたので、まだ新年が始まったばかりだから、わたしもやりたいことを書いてみようかな〜と思いました。
ということで私がしたいことってなんだろう〜と考えてみるといろいろあるのですが、その中でも一番、やってみたいことをここに書いてみようと思います。
私が実現させてみたいのは多分こういう場所を提供できる空間を運営したいことだとおもいます。その空間でできることは、


上記の四つができること。
1)創れるところというのは、ワークショップができて何か創れたり、料理が作れたり、さらに今だと3Dプリンターやレーザーカッターとかで造形ができるところです。
2)集まれるところっていってもそんなにたくさんがあつまれるところじゃなくて6人から8人が十分にあつまれるところで、10人くらいなら窮屈じゃない広さでそれくらいの人数で1)のことができたりするところ。
3)食べられるところっていうのは料理をつくってみんなで食べられるところ。ワークショップが終わったらお茶もできたり、3Dプリンタとかレーザーカッターとかで作業しているときにたべれるところ。
4)最後に発信できるところっていうのはUstreamで発信できる環境であったり、教えたいことを教えることができたり、その場にいる人に発信することもできるし、情報通信技術でその場以外にも発信できるっていうこと。

その場所のイメージはこんな感じかな〜


真ん中には大きなテーブルがあってここに8人位座れて、テーブルの真ん中にはふたがあってフタがあってフタをとれば電源が確保できる。これで作業はできるしパソコンとか電気ものも使える。
一応、モニタもあると説明するときに便利ですから横には42型くらいのテレビがあってね。
テーブルの前には大きなアイランドキッチンがあってみんなをみながら料理もできるし、しっかりした料理もできる。
イメージはあるんだよね〜

運用は基本、会員制で、入会は招待制にしたいな〜
場所は馬喰町近辺にしたいな〜
夜とか土日は静かなところだからね。

なんてところを運営できたらたのしいだろうな〜

わたしも、わたしも〜とか、場所とか提供してくれる人いたら連絡くださいね〜
と最後に書いておけばちゃんと実現できるかもしれない。

では、またね。

2012年5月28日月曜日

情報=娯楽?(後編)


どうも、京茄子美です。今回は前回からの続き、情報=娯楽?の後編よ。
前回、ネットだと
「ただで、テレビよりも早く、いろんな情報を、いろんな端末で、空いた時間も利用して取得することができる。」
っていうようなことを書いたわよね。
尚かつ、ネットだと自分が知りたい情報だけを選別してとることも出来る。
さらに、リアルにつながっている人とも時間と場所を超えてつながることもできる。
だから、多くの人はケータイ、いまではスマホを手放さない。
絶えず、テレビより小さい画面に釘付けな状態よね。

ひとって、情報を取得するのが好きよね。新しい知識を会得するのって楽しいから。
ひとって、他人人がなにしているか気になるって思っている人多いよね。
ひとって、自分に関係することに興味をもつわよね。
(ものすごーく遠い国で起きていることとかに多くの人はあんまり関心持たないわよね。)

ネットだと上で書いた三つのこと全部出来るのよね。
情報をただインプットしていくことが娯楽になっちゃったのね。
いいとか悪いとかじゃないて、娯楽として行うことになっちゃったのね。
昔だったら、情報の取得が生きていくためとか、よりよい生活をしたいからとか、頭よく見せたいとか、そういう何か理由があってるすることだったと思うの。まさに勉強とイコール、もしくはそれに準じていたものだったと思うの。
でも、今じゃネットサーフィン(もう使わないわよねこんな言葉)とかいって情報のザッピングよ。
そして短い細切れな情報が多いから、ほんと情報をみるって感じよね。

情報が娯楽となった時代。これがこれからの社会にどういった影響を与えるのか私にはまだ、わからないけど、すこしづつでも、確実になにかをかえていくと思うわ。

だって、これってテレビを頂点とした今のマスメディアにとってはいいこと何もないもんね、っていうより、どう考えてもマイナスよね。

農業革命で人は安心して食べられるようになった。
産業革命で人は豊になった。
そして、今、まさに進行中の情報革命で私たちは何を得て何を失うのかしら?

またの機会にこのことは考えてみるわ。
どうも、京茄子美でした。


2012年5月27日日曜日

情報=娯楽?前編

どうも、京茄子美です。
さて、私ね、近頃思うことがあるの。
いまって、情報過多って状態よね。いろんな人が言っているとおり、情報革命進行中っていうのは間違いじゃないって感じよね。

でっ、情報の入手についても昔テレビ、今ネットって感じよね。
とはいってもテレビはマスメディアって言うくらいだから、腐ってもテレビって感じで今のところはたぶん情報発信源としてはたぶん一番なんだと思うわ。

でも、でもね、どんどん情報量って増えてると思うの。特にネットからの情報って個人の話から国家や共同体とか小規模、大規模、内輪、グルーバルとカテゴライズのないまま不特定多数から発信されている。
だから、近頃はキュレーションとかいって膨大な情報の海から有益な情報をとってきてくれる人まで登場しているのよね。

今のテレビってCMで成り立っている訳じゃない。だから視聴率が大事なんでしょう。人気番組でCM流せばみんな見てくれる、モノかってもらえる。だからお金だす、っていう感じの循環よね。

さっき書いたけど、今ってものすごく多いのよね。いろんな人がいろんなことを主張している。
私が思うに、テレビが伝えられる情報量を超えた情報がすでに世界を飛び回っていると思うの。だからテレビを見ない人たちが出現したと思うのよね。

雑誌もテレビと基本一緒だから売れなくなっていると思うのよね。

あと、雑誌が売れないはたぶん、お金がかかるからだと思うのよね。

テレビ番組ってNHKやケーブルテレビとかをのぞけば”ただ”よね、だからみんな見るのよね。
だって「ただ」だもん。ほんとは雑誌ってたぶん、テレビの補完てきな役割で生きて来たとおもうの。
テレビはマスメディアだから小回りが利かない。趣味的なことやより深い情報を発信することで雑誌って生きて来れたと思うのね。

でも、ネットがでてきたことによって
情報発信量
雑誌<テレビ<ネット
となってネットが多分、ダントツ一番って感じよね。
あと、情報取得コストだと
ネット<テレビ<雑誌
だと思うのね。

ということで、情報量が最も多くてコストは一番小さい。尚かつ、情報を取得できるデバイスが多い。
さらにモバイル端末もあるから移動してても情報が取得できる。
それでもって、端末が小さいものだと情報もミニマムで要旨だけまとめれたものを取得すれば細切れ時間でも情報収集ができるのよね。
  • ネットだと
  • 空いた時間も利用できて
  • 沢山の情報を
  • ただで
  • 取得することが可能

って感じでまとめらわよね。
ということでこの話は次回後編につづくわよ。(って肝心な部分は全部後編?なの)