今日は近頃ちょくちょく目にする個人の時代について書いてみたいと思います。
私の情報が偏っているかもしれないのですが(たぶんそれはあると思う)近頃以下のような文面をよく見かけます。
特にこの絵に意味はなし |
・大衆の時代が終わって個人の時代が始まる。
・21世紀は個人の時代である。
・ネットの発達によってマスがなくなる。
とうようなことをよく目にします。
私なりに分析してみるとまず、注目すべきは大衆(マス)の時代が終わるということです。マスから個人へという流れがあるということなのでしょう。
では、なぜマス(大衆)の時代が終焉しようとしているのでしょうか?
どうやらそれにはネットワークの発達が関係ありのようです。
なぜ、ネットワークの発達によってマスが衰えてしまうのでしょうか?
どうやらここでいうネットワークにはインターネットという情報のネットワークと格安航空会社(LCC)などによって移動がとても低コストでできるようになったことが理由として考えられるようです。
インターネットの発達によって個人でもかなりの情報をかなり容易に手に入れることができるようになりました。いままではテレビや新聞などのマスメディアからしか手に入れることが困難な情報もかなりお手軽に手に入れられるようになりました。
手に入れられる情報も増えましたが、情報を発信する存在もすごく増えました。
これにより、自分が必要な情報、自分が知りたいと思う情報、自分がすきな情報だけを入手することができるようになりました。
これにより多くの人が同じ情報を共有するということがしづらくなったという状況が生じるようになった。これがマスが弱まる一因と考えられます。
さらに、移動が容易になったことでいろんなところに行こうと思えばかなりどこでも行けるようになりました。これがいままで組織力と資金力のあるマスメディアではないと手に入れることができなかった異国の情報も個人で入手することができるようになりました。
この情報がインターネットを使ってすぐに拡散することができるようになるともう収集が付かない状態です。
そう、情報が過大になってしまってコントロールすることができない状態が始まろうとしているのではないかと思います。
情報が過大で移動が容易でどこでも行ける時代になると行動力があるひとはどこにでも出かけることができます。そして、移動した場所の情報をネットで入手してそこでしばし滞在しもしかしたら働くことになるかもしれません。こんなことを繰り返しているとどこかに定住しているとはいえない世界人ともいえる人が生まれてくるかもしれません。
そんな人は企業や国というものに縛られない人ともいえると思います。
ということから個人の時代が来るということなのでしょう。
でも、個人の時代って聞こえはいいですが、ほんとうにすてきな時代なのでしょうか?
これについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。
(ただここまで書いて疲れたというのが本音です。)
では!