2012年8月26日日曜日

森之熊美のお勧めカクテル(暑い夏にはこれよ)

Hi、森之熊美よ。毎年どんどん暑くなってきてるわよね。絶対、太陽自体が熱くなってるのよ。私はそう思うわ。
さて、こんな暑い日にお勧めするカクテルはずばりこれ「フローズン・ダイキリ」よ。


二十世紀の終わりにフローズン系のカクテルがものすごくはやったのね。特にフルーツ系ね。ほんとすごくはやっていたわ。とにかくフルーツと氷をミキサーに入れるみたいな感じでね。でも、この頃からフルーツ系のカクテルが爆発的に増え進化したわ。マティーニにもフルーツマティーニなんて種類も増えたわ。あとシャンパンとフルーツのコンビのカクテルもこの頃からかな。

おっと、ちょっと思い出に浸っていたら話が脱線したちゃったわね。
このフローズンダイキリはね、基本的にはラムとライムのカクテルよ。ダイキリっていうカクテルにクラッシュド・アイスを入れてミキサーにかけて口のひろいグラスにいれて周りにライムとミントを飾るのが一般的かしら。そこに短いストローが二本差してあってそれを使って飲むのよ。

私がこれを初めて飲んだときはそれはそれは「おいしー」って結構感動したものよ。
冷たくてフルーティー。そしてアルコールの苦さが適度にある。
今から考えるとこれでキャーキャー言ってたなんて私も子供だったわ。
今でも茄子実ならこれでキャーキャーいってよろこぶんじゃないかしら(しませんよーだ!!:京茄子美)

でも、夏の暑い日に飲むにはサイコーのカクテルよ。
まだまだ、暑い日が続きそうだから私も今度バーにいったら頼んでみようかな。

では、またね。

2012年8月25日土曜日

個人の経済圏?

京茄子美です。私、近頃、絵ばかりみてたけど、一応、会計士の卵なのよ。(だれよ、卵じゃなくて茄子だろっていってるのは)
だから、新しい経済論の本を読むのが好きよ。
そんな中で私も近頃感じてるのよね。いまの経済社会とはちょっと違った世界を。

大丈夫、あなたは人気者だから
それはね、いまってどんどんいろんな事が個人で出来るようになっている時代よね。
それがベースとなってこれば、人の考え方が変わっているいくのことも当然のことよね。

それで、私が感じているのは、どんどん個人化していった結果、自分自身の経済圏を持つことが出来るようになるということ。

そして、このことに気がついた人は今、みんながマーケットとか市場とかいってるいるところから密かに自主退場をこっそり始めていて自分自身の小さい経済圏を作り始めている気がするわ。

私は今の普通の経済社会がなるなるとは思っていないの。今のが大きな経済圏ならこれからは小さい経済圏が出来ると思っているの。そして主流はこの小さい経済圏で、大きな経済圏は小さいな経済圏の補完的な役割になると考えているのよね。

この小さい経済圏、最初に言ったように自分自身の経済圏でいろいろ手に入れることができると思うの。
たとえば食料

今だって、お米を作っている場合、それを遠くにいる子供におくったり、親戚にあげたりしていることは多いはずよね。これが家族以外の関係でも起きるのよ。
食料もらった人は違うことでその人にお返しをしてあげるの。

太陽電池とかがもっと安くて個人で利用できるようになるとエネルギーも自分の経済圏で手に入れらるかもしれないわ。

そういう感じで自分が信頼できる仲間内で必要なものを手に入れるの。そこでの対価はお金じゃないわ。先に書いたお米のなんてお金なしであげているもんね。
たぶん信頼関係に基づき他のものや知識や技術等で交換されるのよね。
そこでは人のつながりが大事になっていくのよね。

だから、今、その事に気がついている人でもこの自分の経済圏を設立出来ずにいる人もいるかもしれない。逆に全然気がついていなかった人がそれに気がついていとも簡単に自分の経済圏をつくってしまうこともあるでしょう。だってそれは人のつながりだから。

すごく充実した自分の経済圏を持つ人のいればそこそこな経済圏を持つ人、あんまりもてない人が出てくる気がするの。
自分の経済圏で入手することができないものを大きな経済圏で手に入れる。だから大きな経済圏はなくならい。
そう、十分な自分の経済圏がもてないと大きな経済圏での生活を余儀なくされる。

でも、そこそこのものしか手に入らないのかもしれない。超弩級ないいものはものすごく高いか、その人とつながりがある人しか手に入らないことになっているのかもしれいない。これってお金があっても手に入らないものがでてくるってことなのよ。

だから、自分の経済圏の充実度が高ければあんまり不自由がないし大きな社会への依存が大きければ今の社会から大きく離れることはできない。でも、その大きな経済圏で手に入らないものが沢山ある。それは物質的な事だけではないと思う。そして、自分の経済圏はきっとグローバルに世界とつながることもあると思うの。それが自分の経済圏の充実度って事だと思うの。本当に小さく自分の近所でまかなわれる場合もあるだろうし、いろんな場所にいき、いろんな世界とつながているものもあると思うわ。
本当に自分が楽しいと思えることをできて、それをすることで人も喜んでくれて、尚かつ役に立てる、それが理想の自分の経済圏なのではと思うのです。

と今回はかなりがんばって語ってしまった、京茄子美でした。またね!



2012年8月12日日曜日

フェルメール光の王国展も実はみてました。

どうも、京茄子美です。
前回は今、絶賛開催中のマウリッツハイス美術展にいって真珠の耳飾りの少女を見てきた話を書いたのだけど、実は同日返す刀でこのフェルメール光の王国展も見てきたのでした!
この日はフェルメールdayだったのよね。

さて、この展示はなにがすごいかといいますとね、フェルメールの37展が一気にみられちゃう展示なのよ。
「そんなことがあるわけないじゃん、だって真珠の耳飾りの少女はちがうところで展示してるじゃん」って思うのは当然で、こちらのはリ・クリエイトっていう作品なの。
で、リ・クリエイトってなによって思うわよね。
ここからはこの展示のサイトから引用してみたわ。

現存する全フェルメール作品を最新のデジタルマスタリング技術によって、彼が描いた当時の色調とテクスチャーを推測して、原寸大で、所蔵美術館と同じ額装を施して一堂に展示する場所を作ろうと考えました。それを可能としたのが、リ・クリエイト画像技術であり、それを実現したのがここ、「フェルメール・センター銀座」です。

おっと、これは展示会の説明にもなっていたわね。
では、リ・クリエイトはなんなのかというと

「re-create」とは、複製でもなく、模倣でもない。あるいは洗浄や修復でもない。
「re-create」とは、文字通り、再・創造である。作家の世界観・生命観を最新のデジタル画像技術によって翻訳した新たな創作物である。〜ここからかなり省略ね〜結果的にここに立ち上がったものは、約350年前にフェルメールが描いたであろう色とコントラスト、細部の表現、光の意図を解釈しなおしたものである。「re-create」とは、原作の複写ではなく、翻訳であるとした私の考え方はここに由来する。 落下点とわずかに残された軌跡から、今は見えなくなってしまったその発射地点と仰角を推定すること──「re-create」は、そのような意味での翻訳である。
 現物はもはや本物にはなれないが、翻訳は現物を超えた本物になりうるという逆説を実験的に志向したのが「re-create」である。
 現物の中をいくら探しても、失われ、損なわれてしまって見えなくなってしまったものを回復する。つまり、「re-create」とは、思想を創作的に表現した翻訳物なのである。

とのことで、長いわよね、説明。私なりの解釈はデジタルシミュレーション作品って感じかな。
まぁなんだかんだ言うよりこういうのは見てみないとね。

ここの作品は写真も撮っていいのよね。なぜなら、本物ではないから。問うわけで写真に納めてみました。
本物見た後だもん、これはとらなくちゃね。

天秤を持つ女
さて、感想ですけど、あまりにも近くでみられることと、そして絵が直接みらえれること、そして色とっても鮮やかなのね。
で、これがくせ者なのよね。本物を見たことがある(とくにこの日は本物見た直後)。
しかし、その本物はケースの中だし、ものすごく近くではみられない。だから、この展示会の環境とまったく違う環境でみているのよね。

だから、違和感があるの。すごーく違和感があるの。たぶん、これがただの複製じゃないところなのよね。
私ね、フェルメールの絵のレプリカは見たことあるの、陶板に焼き付けた作品。これを見たときはすごーく近くでみたけど、こんな違和感はなかった。

これ陶板の作品

だから、今見ているものっていうのは頭の中でかなり刷り込みされているってことよね。
だって、私ね、所詮偽物っていう気持ちがあったのは確かなの。
私はさっき本物みてきたんだからっていう優越感をもって作品たちをみてたと思うのよね。だから、全体的に純粋に見られなかったのかもしれないわ。

だってね、出る前にね売り物の「真珠の耳飾りの少女」がケースのなかに額装されて飾ってあったの。それみてそっくりだ!って思っちゃったのよね。

少し立ってから感想を書いてわかったわ。わたしもまだまだ、作品をみる心がうわついているってことが。
見下してみるくらいなら見ちゃだめよね。
って反省を込めてかいてみました。

ちなみに写真に撮ったのが「天秤を持つ女」なのはなぜなのか?
これには理由があるのよ、
私がおもうフェルメール二大美人モデルに一人だから。
もう一人はもちろん、「真珠の耳飾りの少女」
そしてもう一人が「天秤を持つ女」なの。この人、絶対綺麗な女(女と書いてヒトと読む)よ。

またね、京茄子美でした。




2012年8月11日土曜日

ローマ法王の休日をみたけど・・・・

kaz805です。映画を観ました。
観た映画は「ローマ方法の休日」です。

(似てないけど主人公のローマ法王に選ればれちゃったおじいさん)

ネットでの前評判の高かったし、意外にマイナー映画がすきな私としては面白そうと思い観に行きました。
結果からいうと私には高尚すぎて楽しめませんでした。
私、結構、歴史には詳しいです。あと、別にキリスト教徒でもないけど聖書の中にでてkる話とかは知っている方です。神話や童話はすごく詳しいです。
でもね、私、そんなに文学や演劇にはそれほど詳しい訳ではありません。
そう、これが、私が映画を楽しめなかった理由な気がします。
事前の情報では、ローマ方法に選ばれちゃった主人公は若いとき役者希望で、ロシアのチェーホフの戯曲「かもめ」の台詞を全部いえちゃう人とのこでした。
でも、私、ロシア文学ってほとんど読んだこともない。正確にいうと興味ない。だからこの設定、私には無理があったのかもしれない。
あと、映画館の中では笑いが起きていたが私には声をだして笑えるほど面白くはなかった。笑いがあったときにまだ、まだ笑える理由がわかるのなら救いがある。けど、なぜ?そこでわらったの?って言うぐらい意味不明な箇所もあった。
あと、イタリア語が耳になれていないせいか映画の世界に入り込めなかった。これが致命的なことだった。私は映画にものすごく感情移入するタイプだ。基本的に映画の世界に入り込んでしまう。でも、この映画ではそれができなかった。
あと、劇中でかなり重要となるのがアルゼンチンの誇る大歌手、メルセデス・ソーサの唄う「トード・カンビア」(すべては変わる)。この歌が劇中できっとキーになるんだろうな〜て感じでながれる。がしかし、私の心はそれを受け入れることはなかったようだ。
淡々と進む物語。大きな仕掛けがあるわけでもなく、大どんでん返しもない。そしておわりもすっきりしない。ある意味現実以上に現実的な世界だ。法王がプレッシャーで逃げちゃうという設定がぶっとんだものかもしれない。しかし、物語はこんな設定であっても派手な事件がおきたということはない。あくまでも淡々としているのだ。
結局法王は法王になった。法王にはなったが、いままので法王にはならなかった。
その答えは人間らしいといえばそのとおり。最後まで淡々としている。ラストどうなるかは観る人もいるかもしれないから書かないけど。
ここまで書いてわかったが、高尚だから楽しめなかったのではなく、淡々としたリズムが受け入れられなかったんだ、きっと。でもそれはハリウッドの映画のつくりにある意味洗脳されてしまっていることの裏返しなのかもしれない。ハリウッドだけじゃない。今の日本の映像作品はスピードが速くて結論が明確で安易な言葉で短くまとめる。ある意味、それに改めて気づけたのならばそれはそれでよかったのかもしれないな〜。
あっでもヴァチカンの人の衣装はとても勉強になりました。まさに中世のまんまって感じでしたね。
というkaz805の感想でした。

ローマ法王の休日
サイトには大ヒットの文字が。たしかにマイナーっぽい映画だとおもったらすごく人は入っていたね。

2012年8月5日日曜日

オランダから来た美人さんをみてきたよ

どうも、京茄子美です。今日、8月5日はkaz805さんの誕生日なんだって。おめでとう!
さて、お祝いメッセージも送ったところで本題ね。
今日は、オランダから来ている美人さんを見て来たわ。


どこで見てきたかといと東京都立美術館で行われているマウリッツハイス美術館展です。
ここにあの「真珠の耳飾りの少女」が来ているのでした。
日本人はとってもフェルメールが好きよね。
その中でもダントツの知名度と人気を誇るこの絵なのですごい人だと思い、朝早くにいったの。チケットも買わないと行けなし。
9:30からのオープンなんだけど、9:00位に行ってみたの。そうしたら既に行列ができていたわ。

チケット越しにパチリ。上に写っているのは行列
でも、行列が出来始めたのを見て、美術館側が気を利かせて早めに開演してくれたの。
やるじゃん、都立美術館!。
というわけでそこそこ前の方で入館することができました。
みんなが前からみているので、わたしは会場の中央付近におかれている美人をめがけて歩き始めてたわ。先手必勝、あとから他の作品はみるわ、ごめんなさいねって感じでお目当ての作品の展示場所に。

まだ、隙隙な状況でほとんどならばなくてもいい感じ。
そこで、堪能させてもらいましたわ。美人さんを。
いやーほんと艶がある人でした。目が目がいいのよね。ほんと。そして他の作品とちがってこの作品はモデルが本当に美人。21世紀でも通じる美人よね。

でね、絵を見る方法は二種類あって近くで見たい場合は止まらずにながれてみる。
じっくり見たい人は止まらずにみる人の後ろからみるのね。(下の図をみて)


でね、本来近くで見るところはすごい行列になるところなんだけど、まだ、先頭の人たちは最初の絵をみているから人は余りいないの。普通の人は一回みるとじっくり見れるゾーンのところで人ごみのなかでみてるの。
でもね、行列ができていないのならば何回も動きながら近くで見た方がいいと思ったの。行列ができていなければかなりゆっくり見られるし。
ということでわたしは5回歩きながら見させていただきました。
だって目の前でみたいもん。綺麗なものは人の頭越しにみたくないもんね。
ということでかなり美人さんを独り占めすることができました。

あとね、リニューアルされたこの都立美術館なかなかいい感じ。
なにがいい感じかとうとすごく絵が綺麗にみられるようになっているの。
まず、照明がかなりいい感じに調整されている。それとアクリルのケースに入っているからかもしれないけどほんとクリアに見られるの。今時のパソコンの画面みたいな感じのパリっとした感じ。これは好き嫌いがあるとは思うけどね。私はすきよ。でもオランダ絵画のなんかじめ〜っとした感じは薄くなっていたかな。

それと真珠の耳飾りの美人さんばかりが取り上げられているけどこの美術展にはもうひとつフェルメールの作品があるのよ。

フェルメール全作品ポストカードより
デァアナとニンフたち
フェルメール全作品ポストカードより
真珠の耳飾りの少女
もう一つは「ディアナとニンフたち」という作品よ。
フェルメールの作品はふつう一点でもくるだけで話題になるのに、こちらはほとんど宣伝されていないわ。展示もすごーく普通にかざってあるの。ある意味すごいわ。行く人はこちらのフェルメール作品もちゃんとみないともったいないわよ。

いやーほんと綺麗な女(おんなと書いてひとと読む)でした。またね。