2012年8月12日日曜日

フェルメール光の王国展も実はみてました。

どうも、京茄子美です。
前回は今、絶賛開催中のマウリッツハイス美術展にいって真珠の耳飾りの少女を見てきた話を書いたのだけど、実は同日返す刀でこのフェルメール光の王国展も見てきたのでした!
この日はフェルメールdayだったのよね。

さて、この展示はなにがすごいかといいますとね、フェルメールの37展が一気にみられちゃう展示なのよ。
「そんなことがあるわけないじゃん、だって真珠の耳飾りの少女はちがうところで展示してるじゃん」って思うのは当然で、こちらのはリ・クリエイトっていう作品なの。
で、リ・クリエイトってなによって思うわよね。
ここからはこの展示のサイトから引用してみたわ。

現存する全フェルメール作品を最新のデジタルマスタリング技術によって、彼が描いた当時の色調とテクスチャーを推測して、原寸大で、所蔵美術館と同じ額装を施して一堂に展示する場所を作ろうと考えました。それを可能としたのが、リ・クリエイト画像技術であり、それを実現したのがここ、「フェルメール・センター銀座」です。

おっと、これは展示会の説明にもなっていたわね。
では、リ・クリエイトはなんなのかというと

「re-create」とは、複製でもなく、模倣でもない。あるいは洗浄や修復でもない。
「re-create」とは、文字通り、再・創造である。作家の世界観・生命観を最新のデジタル画像技術によって翻訳した新たな創作物である。〜ここからかなり省略ね〜結果的にここに立ち上がったものは、約350年前にフェルメールが描いたであろう色とコントラスト、細部の表現、光の意図を解釈しなおしたものである。「re-create」とは、原作の複写ではなく、翻訳であるとした私の考え方はここに由来する。 落下点とわずかに残された軌跡から、今は見えなくなってしまったその発射地点と仰角を推定すること──「re-create」は、そのような意味での翻訳である。
 現物はもはや本物にはなれないが、翻訳は現物を超えた本物になりうるという逆説を実験的に志向したのが「re-create」である。
 現物の中をいくら探しても、失われ、損なわれてしまって見えなくなってしまったものを回復する。つまり、「re-create」とは、思想を創作的に表現した翻訳物なのである。

とのことで、長いわよね、説明。私なりの解釈はデジタルシミュレーション作品って感じかな。
まぁなんだかんだ言うよりこういうのは見てみないとね。

ここの作品は写真も撮っていいのよね。なぜなら、本物ではないから。問うわけで写真に納めてみました。
本物見た後だもん、これはとらなくちゃね。

天秤を持つ女
さて、感想ですけど、あまりにも近くでみられることと、そして絵が直接みらえれること、そして色とっても鮮やかなのね。
で、これがくせ者なのよね。本物を見たことがある(とくにこの日は本物見た直後)。
しかし、その本物はケースの中だし、ものすごく近くではみられない。だから、この展示会の環境とまったく違う環境でみているのよね。

だから、違和感があるの。すごーく違和感があるの。たぶん、これがただの複製じゃないところなのよね。
私ね、フェルメールの絵のレプリカは見たことあるの、陶板に焼き付けた作品。これを見たときはすごーく近くでみたけど、こんな違和感はなかった。

これ陶板の作品

だから、今見ているものっていうのは頭の中でかなり刷り込みされているってことよね。
だって、私ね、所詮偽物っていう気持ちがあったのは確かなの。
私はさっき本物みてきたんだからっていう優越感をもって作品たちをみてたと思うのよね。だから、全体的に純粋に見られなかったのかもしれないわ。

だってね、出る前にね売り物の「真珠の耳飾りの少女」がケースのなかに額装されて飾ってあったの。それみてそっくりだ!って思っちゃったのよね。

少し立ってから感想を書いてわかったわ。わたしもまだまだ、作品をみる心がうわついているってことが。
見下してみるくらいなら見ちゃだめよね。
って反省を込めてかいてみました。

ちなみに写真に撮ったのが「天秤を持つ女」なのはなぜなのか?
これには理由があるのよ、
私がおもうフェルメール二大美人モデルに一人だから。
もう一人はもちろん、「真珠の耳飾りの少女」
そしてもう一人が「天秤を持つ女」なの。この人、絶対綺麗な女(女と書いてヒトと読む)よ。

またね、京茄子美でした。




0 件のコメント:

コメントを投稿